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現代ヨーロッパ映画(その1)-移民・難民・越境・辺境・マイノリティ― [映画・ノンジャンル]

●現代ヨーロッパ映画(その1)-移民・難民・越境・辺境・マイノリティ―
日程:8/2(火)-8/6(土)
主催・場所:アテネ・フランセ文化センター
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/co/contemporary.html
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/co/contemporarys.html

昨年10月に河出書房新社から刊行された『国境を超える現代ヨーロッパ映画250 移民・辺境・マイノリティ』の刊行記念イベントも兼ねたイベントが開催されます。

編者4人を中心に執筆者やゲストを迎え、フランス、ドイツ、グルジア、ポルトガルを網羅し、本で扱いがあった映画や、なかなか見ることができない映画を上映し、トークセッションを行います。

私は映画評論家の田中千世子氏を迎え、8/5(金)の18時から「フランスと移民」をテーマにトークを行います。

ぜひみなさまお誘いあわせのうえ、ご参加ください。

『国境を超える現代ヨーロッパ映画250 移民・辺境・マイノリティ』 [映画・ノンジャンル]

『国境を超える現代ヨーロッパ250 移民・辺境・マイノリティ』(野崎歓、渋谷哲也、夏目深雪、金子遊[編])が10/17に発売になりました。今ヨーロッパを騒然とさせている移民・難民問題を中心軸に、その他辺境やマイノリティにテーマを持つ映画をセレクトし、「映画がいかに国境を超えるか」、その方法論を様々な角度から多角的に探り、映画と社会の関係を鋭く切り取ったガイド&論考集です。

第1章「移民映画の20年、10本」では10本の移民映画をもとに、編者4人で移民映画の20年を概括しております。扱っている映画は『憎しみ』『ぼくの国、パパの国』『ベッカムに恋して』『イン・ディス・ワールド』『堕天使のパスポート』『ゲート・トゥ・ヘブン』『パリ20区、僕たちのクラス』『ソフィアの夜明け』『海と大陸』『おじいちゃんの里帰り』。4人の30頁近い座談会のあと、1頁ずつの評論。

第2章「境界線を探る監督たち-移民・難民・異境・辺境・少数民族」では、西はイギリスから東はロシアまで、この章タイトルに沿った監督たちをセレクトして、そのテーマを中心に論じています。1-4頁の作家論、コラム、インタビュー、鼎談、評論など手段はさまざま。
扱っている作家は、ケン・ローチ/スティーヴ・マックイーン/ジム・シェリダン、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ/クレール・ドゥニ/ジャック・オディアール/アブデラディフ・ケシシュ/フィリップ・リオレ/ブリュノ・デュモン/セドリック・カーン/エリック・トレダノ&オリヴィエ・ナカシュ/トニー・ガトリフ/アラン・タネール/ファティ・アキン/ヴェルナー・ヘルツォーク/ドリス・デリエ/クリスティアン・ペッツォルト/ストローブ=ユイレ/R.W.ファスビンダー/トーマス・アルスラン/ミヒャエル・ハネケ/ウルリヒ・ザイドル/ロマン・ポランスキー/イエジー・スコリモフスキ/イジー・メンツェル/タル・ベーラ/ペドロ・コスタ/ジョアン・セーザル・モンテイロ/パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟/マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ/ホセ・ルイス・ゲリン/テオ・アンゲロプロス/アキ・カウリスマキ/トーマス・アルフレッドソン/ラース・フォン・トリアー/トマス・ヴィンターベア/ニコラス・ウィンディング・レフン/フレデリック・トール・フリドリクソン/クリスチャン・ムンジウ/エミール・クストリッツァ/アレクサンドル・ソクーロフ/アンドレイ・ズビャギンツェフ/アンドレイ・タルコフスキー/オタール・イオセリアーニ/テンギズ・アブラゼ(掲載順)。

執筆者は池澤夏樹/北小路隆志/管啓次郎/澤田直/陣野俊史/瀬尾尚史/トニー・ガトリフ/福間健二/藤田修平/三浦哲哉/矢田部吉彦/四方田犬彦/渡辺芳子

刊行を記念して編者4人のトークセッションも行われます。
11月27日(金)19:30 ~ジュンク堂池袋 「“映画が(で)国境を超える”とは」
野崎歓(フランス文学者)×渋谷哲也(ドイツ映画研究)×夏目深雪(批評家・編集者)×金子遊(批評家・映像作家)
http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=10495
ぜひご参加ください。

国境を超える現代ヨーロッパ映画250 移民・辺境・マイノリティ

国境を超える現代ヨーロッパ映画250 移民・辺境・マイノリティ

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/10/17
  • メディア: 単行本



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6,7月の(特集)上映 [映画・ノンジャンル]

 もう明後日からになってしまいますが、以前大阪アジアン映画祭のレポートhttp://miyukinatsu.blog.so-net.ne.jp/2009-03-28で紹介した『サイアム・スクエア』が『ミウの歌』として6/20から渋谷のシネマ・アンジェリカで上映されます。季節的にはぴったりかもしれないですね。初夏、初恋・・。http://www.loveofsiam.jp/
 あとは6/23からアテネフランセ文化センターにて「特集 ロシア・ソビエト映画史縦断 1908-1939」http://www.athenee.net/culturalcenter/program/r1/r1.htmlが開催されます。仕事でどれだけ行けるか分かりませんが・・。そういえば下高井戸シネマでも「白夜映画祭Ⅲ」http://www.shimotakaidocinema.com/shimotakaido_cinema/byakuya.htmlを開催中です。
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ロシア革命アニメーション1924-1979 [映画・ノンジャンル]

同じストーリーを実写とアニメーションとで撮ったら断然前者の方が好きだ。人間が全く違う人間を演じるといういかがわしさが好きなのだ——そこで発生するずれ(俳優とキャラクターの、或いは監督と俳優の)も含めて。アニメーションは監督の思い入れが直接キャラクターを成立させてしまっていて、素直すぎてつまらない、とウラジミール・タラソフの『射撃場』を観るまでは、思っていた。
プロパガンダであるので最初から監督の言いたいこととキャラクター&ストーリーラインに「ずれ」があるのは他の作品と同じだ。みんな揃ってクールでキッチュ、監督の思い入れたっぷりの美少女などが登場しないのは嬉しいのだが、ぶったまげたのは『射撃場』、このあまりに衝撃的なアニメーションは、アニメーションでしか出来ないことがあることを知っている。ストーリーラインと絵自体は過激でアバンギャルド、そしてなんといってもフリージャズ風音楽と人物の動きの驚くほどの官能性! それらが相まってなんとも情熱的でカッコイイ世界を形作っている。
1924年に作られたジガ・ヴェルトフの『ソヴィエトのおもちゃ』から1979年の『射撃場』まで、見渡せばこの国はいつでも夢を、情熱を追ってきたのだったと痛感した。
http://www.takeshobo.co.jp/sp/russia/
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映画の中の欲望 [映画・ノンジャンル]

建築物を見るのが好きだ。高ければ高いほど、壮麗であればあるほど、気分が高揚する。目の前が山のようなところで育ったのに、自然よりむしろ人工的なものに惹かれる自分を、何故なんだろうとずっと思っていたが、映画をキーワードに考えてみて、なんとなく分かったことがあった。

いい人ばかり出てくる映画が苦手だ。「結局みんないい人でした」みたいな結論を提示されると何を受け取ったらいいのかわからなくなる。それがサブならまだしもーーメインの映画だとちょっと苦しい。

“映画は、我々が欲情するものを与えはしない。我らが何に欲情すべきかを教えるものなのだ。”とジジェクは言った。私はきっと、映画の中の人々の欲望を見るのが好きなのだ。

そういう意味ではポール・トーマス・アンダーソンの『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はとても面白かったし、惹き込まれた。ただ女性や、広い意味での女性性がきっぱりと除外されている映画でーーそこがやや物足りなく感じた点だが。ダニエルのような女主人公がいたって構わないわけで、『王妃の紋章』などを観てしまった後だと、そんなヒロインの登場を期待したくもなる。

アメリカも中国も、欲望が渦巻く、極めて映画的な国家だと思う。私が邦画になかなか足が向かないのは、やはり何か欲望が、足りない気がしてしまうのだ。それは近年の日本を象徴しているのだろうか、それとも停滞している欲望を、映画が上手く掬い取ることができないのだろうか。

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珠玉の二本 [映画・ノンジャンル]

珍しく急に(!)ヒマなので、気になっていた映画を二本ハシゴ。奇しくも昨年度のフィルメックス上映作品だった。一本目はエトガー・ケレット&シーラ・ゲフェン共同監督の『ジェリーフィッシュ』。これは実は観ようか迷っていた作品。レビューなどを読む限り(というかどこでもあまり大々的には取り上げられていないようなのだが)、柔らかく、可愛らしい、お菓子のような作品を想像してしまって(私はわりとそういうの苦手・・)。しかしそんな先入観が杞憂であったことに、観ていくうちに気付く。そして、なんでこんな透明で、真摯で、美しく精巧な原石のような映画に、そんな先入観を持ってしまうのだろうということに考えが及び、そしてこの反省って同じイスラエル映画『迷子の警察音楽隊』を観た時にもしたじゃないか、ということに気付く。
生きている場所の問題なのだろうと思う。死が、別れが日常である場所と、全くもって非日常な場所では、同じシチュエーションでも物語の転がり方が違う。言葉の真剣さが違う。抱きしめた肩の温もりが違う。汚れた先入観で数千円を出し惜しみした自分を呪う。数日間は、この原石の輝きを自分の内に留めておけるような気がする。しかしその後は? また失ってしまうのだろうか。目を閉じて、彼らの海をただ思う。
続いて万田邦敏監督の『接吻』。これも迷っていたのだが、それは同監督の前作『UNLOVED』があまりしっくりこなかったから。台詞が非常に多い映画で、しかも森口瑤子が主張ばっかりしていたような印象が強いのだが、『接吻』は台詞よりは視線や、動きで多くを語る映画であったことがとても良かったと思う。そしてエンディング! 「驚愕のエンディング」というのは、「誰も思いもしなかった結末」の場合もあるが、「うすうす分かっていても、誰も止められない結末」の場合もある。この映画の場合はどちらかというと後者だろう。私はよくエンドロールで席を立ってしまい周囲の人や連れに顰蹙を買うのだが、久々にエンドロールしばらく立ち上がれずに呆然としてしまった・・。
二本ともおススメです。フィルメックスは会場が大きすぎてあまり好きではないので、昨年は公開されないものだけに絞ってしまったのだけれど、ジャ・ジャンクーの『東(Dong)』もとても良かったし、全般的なレベルが高かったのだなぁ、と痛感。
半年位私事で忙しく、なかなか観た映画について書くことができなかったけど、ぼちぼち再開していこうと思っています。
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迷子の警察音楽隊 [映画・ノンジャンル]

第20回東京国際映画祭で東京サクラ・グランプリに輝いた『迷子の警察音楽隊』について書いたものが、東京国際映画祭のサイトにアップされました。公開は12月22日からだそうです。記事はコチラ→http://www.tiff-jp.net/report/daily.php?itemid=530。公式サイトはコチラ→http://www.maigo-band.jp/main.html。クリスマスや年始年末に、この映画に出逢える人を羨ましく思います。


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TBSドラマ「マラソン」 [映画・ノンジャンル]

二宮和也の演技が素晴らしいという新聞評につられて20日の夜にTBSで放映された「マラソン」を観た。原作「走れ、ヒョンジン!」は韓国に実在する自閉症の青年をモデルにしており、韓国で映画化され、日本でも『マラソン』として公開されヒットしたので覚えている方も多いだろう。

『マラソン』は公開当時観てとても感動したのだが、実話をもとにしたこの映画が、他の事故やら記憶喪失やら失明やらの不幸をテンコ盛りにした「泣ける」韓流映画と一緒くたにされてしまうことへの違和感を感じた。しかし実話と作りものの違いという以外、私自身その違いはよく分かっていなかった。細かいところに違いはあるものの基本的なストーリーラインはほぼ変わらない今回のドラマを観て、分かったことがあるので書いてみたいと思う。

一人で何かができないわけではないが、「適正に」何かをすることが難しく常に周りのサポートを必要とし、周りに迷惑をかけることも多いヒョンジン=彰太郎と母親の癒着というか共依存のような関係は、分かってしまうだけに胸がつまるものがある。「息子のためになると思って走らせていた」母親が、「自分のために走っていたのだ」と思い込み、もう走らなくていいと彰太郎に言い、そんな母親を振り切って彰太郎は一人でフルマラソンに出場する。他の選手が走り始めたのに母親に手を握られてスタートできない彰太郎が、しばらく逡巡したのちに母親から手を離し走り出す、シーンがやはり一番感動的だ。それから彰太郎は途中トラブルもあるものの、ずっと走り続け、ゴールするからだ。その間中観客は彰太郎と一緒に走り続け、彰太郎の苦痛と裏腹の快楽を、一人で伸び伸びと何かをすることの解放感を、やり遂げることの達成感を、共有することになる。

手を離す直前に、それによって苦難を乗り越えてきた親子間の合言葉が彰太郎によって囁かれ、それで母親の手の力が緩んでしまうことを見ても、このシーンがドラマのヤマとなっていることは明らかであろう。そして「子の積極的な親離れ」というテーマがずっとこれまで覆いかぶさっていた「自閉症」という症候そのもの、「自閉症の子を持つ親の苦労」などのテーマを突き破る、ところが感動的なのだ。ドラマはここに来て急にビルディングスロマンの顔をし始める。走り出した彰太郎の顔は確かに、急に大人びて見えるようだ。

障害を持つもののビルディングスロマン・・・はなかなか難しいのだと思う。一つには、あまりに典型的なビルディングスロマンを描いても、リアリティに欠いてしまうという問題があるだろう。もう一つの問題として、障害を持つものの視点にならないとなかなか成長が見極められないということがあると思う。マラソンを走りきること、が彰太郎にとってどんなに大変なことか、彰太郎の目線になってみないと分からない。それを映画で表現するのに、かなり細かい調整が必要となってくることだろう。健常者の視点で作り続けている限り、観客を感動させるようなビルディングスロマンを構築するのは難しいのではないかということだ。

映画とドラマの細かい違いという点では、映画では母と息子の共依存のような関係のつけで、弟はグレて、父は家を出てしまった。がドラマでは、弟はグレるというよりは拗ねている程度だし、父も家を出て行くもののそれは単身赴任が理由であり基本的には息子を愛するいい父親である。現実に近いのはどちらだろう、と考えるとどうも前者のような気がしないでもないのだが、これは映画よりも表現がマイルドになるドラマという媒体のせいだろうか。それともより田中美佐子が演じることによって健気さ、可愛らしさを増した母親の違いによるものだろうか。

新聞では「透明感のある」と評されていた二宮和也の演技も確かに素晴らしい。走りながら「人間っていいなー」と歌うシーンは映画版とは違う確かな存在感を感じた。誰しもこのドラマを見た後、どこかで自閉症の子を見かけたとしたら、彰太郎の純粋さ、一途さを想起し頬を緩まさずにはいられないだろう。過激な半面イメージ豊かな映画版も、全編を通して暖かさを感じられるドラマ版も、両方観たからといって、損することなど何もないだろう。

関連記事:『マラソン』を見て考えたことhttp://blog.so-net.ne.jp/miyukinatsu/2005-07-24-2


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カズオ・イシグロと映画 [映画・ノンジャンル]

原爆のことを調べていて、吉田喜重監督が「長崎をめぐるカズオ・イシグロの小説の映画化の企画を、長きにわたって暖めてきた」という記述にぶつかり、といったらそれは「遠い山なみの光」以外ではありえず、『鏡の女たち』を撮ってしまった今となって、そんな企画がまだ実現可能なのかどうかわかりかねるけれども、確かに原爆投下後の長崎を生きた初老の女の、現在と過去の回想が入り混じるこの中篇は、吉田監督が好んで取り上げそうな題材であり、雰囲気を持っている。

カズオ・イシグロはインタビューなどで映画好きだと語るし、実際に『世界で一番悲しい音楽』と『上海の伯爵夫人』の脚本を担当したりもしているのだけれど、脚本家としての手腕は置いておいても、小説の映画化という面で相性がいいのかと考え始めると、少し疑問に思うところがある。『日の名残り』は未見なのだが、『上海の伯爵夫人』はどうにも成功作とは言いかねるし、何より彼の小説は映画的なところを持ちつつも、一番の魅力として根底にあるのはやはり最も小説的な仕掛けではないかという気がするのだ。

とはいいつつもちゃんとした監督が映画化したらいい映画になるだろうなぁ、と思う作品はいくつかある。まず「わたしたちが孤児だった頃」。あまりに映画的・官能的な描写に恍惚とした覚えがあるので。それからもちろん最新作の『わたしを離さないで』。これは『世界で一番悲しい音楽』と同じくらい、物悲しい映画になるだろう。観たい気もするが、観たくない気もする。そういえばイシグロはいつも、「はっきりと知覚してしまうことの残酷さ」を、言っているような気がする。それは即ち、世界の残酷さである。「はっきりと見せないわけにはいかない」映画で、そのニュアンスが出せるか、そこがイシグロの小説の映画化の、難しいところではないだろうか。

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

  • 作者: カズオ イシグロ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2006/03
  • メディア: 文庫

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変な女 [映画・ノンジャンル]

まず『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』。台風が来るというのにシネマライズは結構盛況。最近は小説家としても活躍している本谷有希子さんに興味があったのと、映画自体なかなか評判がよいので。しかし私はCMディレクター出身の監督、ヒロインの挫折や不幸を扱っているという共通点から、観ている最中ずっと『嫌われ松子の一生』との類似点を感じてしまい、まぁ正直言ってあまり好きではない映画。原作があるというのも『嫌われ松子の一生』と共通点と言えるだろうか。原作ものの難点は、「何故その映画を作ったのか」という、例えば誰か好きな人に告白するのに「なんであなたが好きなのか」という一番キモになる部分が弱い場合があり、それが難点だと思っているのだが、まさにそんな感じなのではないだろうか。『嫌われ松子の一生』も『腑抜けども・・』も原作を読んでいないのだが原作はもっと面白いのでは。

ヒロインが周りの環境や関わる男どもによって、夢をあきらめたり性的に堕落したりするのは、一昔前の日本だったら作る方も真面目、観客も真面目に涙したのだが、今はそういう時代ではないらしい。実際に松子や和合家の妻・待子のような女が現代の日本にはいないという前提なので、ギャグっぽくできるのか、それともいてもできるのか。そのへんのところが正直言ってよくわからない。過去の遺物だとしたらしたでギャグっぽくしてもいいのか、そもそもどうして題材に選ぶのか。ちょっと独特の被虐性のようなものを感じたりして、好きではないが興味はあったりする。

次は久しぶりに最近めっきり公開数自体が減ってしまった韓流らしい映画『私たちの幸せな時間』。死刑囚と自殺願望のある女の心の触れ合いといったら、ベタベタの韓流ドラマようなものをつい想像してしまうが、カン・ドンウォンとイ・ナヨンの好演もあって、ついつい引き込まれてしまう。と書きつつ、でも韓流ドラマも「嘘だよー、ありえない」と思いつつ、情感溢れる俳優たちの演技につられてつい感情移入してしまうというパターンなので、結局はあまり変わらないかも・・。

(注・以降ネタばれあり、観てから読みましょう)しかしイ・ナヨンの可憐さ・痛々しさのようなものはやはりこの映画の格を一つ上げているのではないだろうか。「強姦」のエピソード一つにしても、ありがちだし(最近某ドラマで米倉涼子もそんなこと言ってたな)扱い方一つで充分鼻白むものになると思うが、ちょっとキレたヒロイン、ユジョンを説得力と存在感のあるものにしていたのは、イ・ナヨンの功績ではないかと思う。

しかし二人の人間としてのバックボーンや魅力に時間を割きすぎたのか、終盤が多少あたふたとしてしまったのは残念(あたふたとやってしまって良い題材だとは思わないので)。肝心の「絞首」のシーンも、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『カポーティ』のような荘厳さには欠ける。そもそも「韓国は1998年に金大中氏が大統領になって以来、死刑の執行は行われていません。現在、死刑廃止法案が国会で議論され、死刑制度の廃止も間近いhttp://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=1238&gclid=CPvDzrW9po0CFQIPYwodJ0fn2Qなどという記事を読んでしまうと、結局は人の不幸はドラマのネタ? という韓流ドラマに感じたのと同じ疑問を、感じてしまったりもするし。無理に「絞首」シーンをやらずとも、字幕で処理したりしたほうが、全体を通して感じられる韓流らしいロマンチシズムを壊さずに済んだのではないだろうか。

と、瑕疵のない映画ではないですが、カン・ドンウォンファンの方は充分楽しめるし(私自身はクオン・サンウやイ・ビョンホンやチョン・ウソンの良さはわかるけど、カン・ドンウォンはあまりピンと来ないのだけど)、イ・ナヨンを観るだけでも価値があると思う。

しかし今日は変な女いっぱい見たな・・。田舎から出ようと思って出られない、孤独を埋めようと思って埋められない、過去の傷から逃れたいと思って逃れられない、故に、もがく女たち。結局犠牲になって死ぬのは男で、女はずぶとく生き抜いていくのだから、ある意味では「女性賛歌」なのか。うーん・・それを「女性賛歌」だと言っていいのかどうかで、評価が分かれるのかもしれない。


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