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怖い女 [映画・ノンジャンル]

前日の疲れかフィルムセンターのロージーの『銃殺』、着いたのが開映時間ギリギリになってしまい、そしたらなんと既に満席で入れず。ロージーってそんな人気あったっけ・・と納得いかないまま気を取り直して新宿に。期せずして「怖い女」のフィルムを二本観ることになってしまった。

まず『あるスキャンダルの覚え書き』。これはわりと評判がいいのだが、勿論面白くないとは言わないが特筆すべきものは感じず。ジュディ・デンチもケイト・ブランシェットもあんまり怖くない。しつこいようだが『下女』のヒロインや、『欲望という名の電車』のビビアン・リーの方がよっぽど怖い。演出が品が良すぎるんだよね、きっと。やりすぎの演出だからといってその映画の格が下がるわけでもない、品が良いからと言ってその映画が面白いわけでもない、そこが映画の面白いところ。

次にシャブロルの新作『石の微笑』。こっちの方が面白かった。さすがシャブロル、上手い。にわかには信じがたい設定をブノワ・マジメルの繊細さとローラ・スメットの存在感が難なくクリアしている。

ただ帰りの電車の中でロージーだったらもっと・・などと見果てぬ夢を観てしまったことも確か。ロージーやキム・ギヨンにあってリチャード・エアーやシャブロルにないものは何か。オブセッションですかね、やっぱり。病んだ人たちは病んだ人にしか描けないということか。というか、病んでいない人が病んだ人を描くことほど鼻白むものはない。中央線が工事のため途中からバスに乗る羽目に。ポツポツと落ちてきた雨を横目で見ながら二本の映画の女の孤独に思いを馳せる。


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初夏のB級映画 [映画・ノンジャンル]

暑くなってきたからだろうか、急にB級映画が観たくなり、『ゾディアック』(を挙げると怒るフィンチャーファンとかいるのかな)とパン兄弟の『リサイクル-死界-』。

『ゾディアック』は期待して観たわりには期待はずれ。冒頭の殺人場面からして全然怖くないので、ヤバイんじゃないかと思っていたのだが、結局シリアル・キラーの怖ろしさと、犯人を追うことによって人生が変わっていってしまう人々と両方描いてしまったことにより怖さが半滅してしまったのだろう。別に怖がらせることが目的ではないという反論もあるかもしれないが、だったらあの映写技師の家でのシーンは何なの、みたいな。観ながら『殺人の追憶』と『大統領の陰謀』を想起したのだが、その2作品の方が的が絞りきれてるし、だから当然面白い。記者も警察も犯人も均等に(まぁ正確には均等ではないのだが)描いたらそれは映画ではなく実生活だろう。それがいいという人もいるのかもしれないが私はやっぱり映画的な怖ろしさを、美を求めてしまう。それにそれを狙ったというよりはむしろ整理しきれていないような印象を持った。

パン兄弟は『the EYE【アイ】』が結構好きだった。しかしこれも冒頭ちょっと怖いんだけど、それ以後は急激に怖さを失っていく。でも死界の美術(普段美術でどうこう言う人じゃないのですが、素晴らしい)や死霊たちの造形など、この監督はやっぱり形に嵌らない面白さがある。ゾンビが皆同じ顔をしているのも勿論怖いのだが、一人一人顔や崩れ方が違うのも面白いものだ。でもふむふむ、なんて見とれてしまってあんまり怖くはないかな(笑)。クライマックスはありきたりなのだが、ラストは結構独創的でいいんじゃないかと思う。でもこの監督の作品は、いつもあと一歩でものすごく面白くなりそうなのにその手前で留まっているような、そんな印象を持つ。でも初日のシネマート六本木は数名で、そこまで人の入らない映画じゃないと思うんだけど。

2作品とも結局あまり怖くなかったのが不満。『下女』の方がよっぽど怖かった(別にホラーじゃないと思うんだけど・笑)。結局一番怖いのって人間で、その人間の怖さみたいなものが2作品ともいま一つ描き切れていなかったのが不満なのだろう。帰りに六本木にお勤めしていた頃たまに行った餃子専門店に寄ってみるものの、混んでいたので断念。


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見えないもの、聴こえないもの [映画・ノンジャンル]

美学校でホルへ・サンヒネスの『革命』と『鳥の歌』を観た後アテネに移動しダグラス・サークの『There's Always Tomorrow』。しかし私はサーク好きではない。未見の傑作が多い可能性もあるが、世界観のようなものが好きになれないので本数を観てもそう変わらないのではないかと思い、観ていない。しかしこの映画はわりと楽しめた。前日のマンキーウィッツの『他人の家』の理解度(まぁコンディションがあまり良くなく、途中で意識を失ってしまったこともあるのだが)に較べ、英語のヒアリング能力の違いはないのに筋がほとんど追えることに驚く。全部聞き取れるわけじゃないのに何言っているのか大体分かる。「映像の人」とはこういうことなのかと納得した。クリス・フジワラ氏の指摘通り、「見えないものが重要」なマンキーウィッツと、ある意味で正反対、「見えるものが全て」な映像世界を、堪能した。モノクロの世界の中でキャリアウーマンを演じるバーバラ・スタンウィックは悪くない。

がしかし、いくら筋立てが全て追えなくても、個人的な強い興味は『他人の家』の方へより強く持つのだ。マンキーウィッツの作品の持つ「見えないもの、隠されているもの」に惹かれてしまう。そもそも、「表象されているものが全てだ」という諦念は、私はあまり共有しない。ホルヒ・サンヒネスの『鳥の歌』だって、ラスト近く、せっかくインディオたちの鳥の歌の祭りを撮影させてもらえた映画製作者たちに、肝心の「鳥の歌」が聞こえない、録音できない、あのシーンがなかったら、この映画は、ここまで面白くならなかっただろう。ポストコロニアリズムのテキストで終わってしまいそうなこの映画を、あのシーンが、世界に向かって開かせているように思う。

見えないものに目を凝らし、聴こえないものに耳をそばだてること。私にとって多分、映画を観るとはそういうことだ。私に限って言えば、映画と世界との闘いで、映画が勝つわけではない。映画は、世界に対峙し得るもので、見えないものが見えそうになる、聴こえないものが聴こえそうになる、そういう装置であってほしい。そしてきっと、それ以上のものではない。

最後に復習も兼ねてドゥルーズ『シネマ2』からマンキーウィッツについて。

マンキウィッツにおける時間は、まさにボルヘスが『八岐の園』において描写した時間である。それは空間ではなく、分岐する時間であり、「時間の網の目は、たがいに近づき、分岐し、交差し、あるいは数世紀にわたってたがいに無縁であり続け、あらゆる可能性をはらんでいる」。フラッシュバックの根拠はまさにそこ、時間の分岐のそれぞれの点にある。回路の多様性は、したがって新しい意味を帯びる。単に、複数の人物のそれぞれに一つずつフラッシュバックがあるだけでなく、フラッシュバックが、複数の人物(『裸足の伯爵夫人』においては三人、『三人の妻への手紙』では三人、『イヴの総て』では二人)に属するのである。そして、単に複数の回路が相互に分岐するだけでなく、それぞれの回路が、枝毛のようにみずからを分岐させるのである。

一方では、小説的要素、物語が、記憶の中に現れる。実際、記憶は、ジャネの公式によるならば、物語行動なのである。その本質そのものにおいて記憶とは声であり、その声は、語り、呟き、囁き、そして起こったことを報告する。フラッシュバックにともなうオフ・ヴォイスは、そこからきている。マンキウィッツにおいて、しばしば記憶のこの精神的役割は、多かれ少なかれ彼岸に関係する存在に委ねられる。たとえば『幽霊と未亡人』の幽霊、『うわさの名医』の亡霊のような人物、『探偵<スルース>』の自動人形である。『三人の妻への手紙』では、第四の女友達がおり、決して姿を現すことはなく、一度だけかろうじてかいま見える彼女は、他の三人に、自分が彼女たちの夫のうちの一人(だが、それは誰か?)と出奔することを知らせた。そして三つのフラッシュバックをつかさどるのは、彼女のオフ・ヴォイスなのである。


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エレクション&ディパーテッド [映画・ノンジャンル]

ジョニー・トーの『エレクション』(黒社会)は昨年度の香港電影金像賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞の四部門を受賞している。昨年の東京フィルメックスでも上映されたが、チケット開始後30分程度で売り切れてしまったらしく、私はチケットを惜しいところで取り逃してしまった。ということで初日も混雑を予想していたのだが、さほどでもない。私はジョニー・トーの映画の残虐性の中にふと出てしまうユーモアや、流麗なカメラワーク、かっこいい女性が好きなのだが、この映画は徹頭徹尾黒社会の中での「アタマ」争いに費やされていて、どれもない。あえていえばレオン・カーフェイの熱演が見ものか。
ラストの後味の悪さを口直しするには、ディカプリオを見るしかないかと思い「インファナル・アフェア」のリメイク『ディパーテッド』へ。ディカプリオとマット・デイモンと聞いただけで、本家アンディ・ラウとトニー・レオンより格落ちの気がしてしまうのは、ある意味ですごい。香港映画の底力か(ま、年齢も違うけれどね)。デイモンが良くなくてディカプリオがいいのは想像どおりだが、ジャック・ニコルソンも言われるほど鬼気迫っているわけではない。リメイクとはいえ小道具や潜入捜査の打ち合わせの場所が屋上だったり、細かいところが同じなのは芸がないと思い、少し興醒め気味のところ、中盤以降微妙な変更が加えられていく。よりスコセッシらしい「絶望」が深まっていて悪くないのだが、難はこういう筋立てだとマット・デイモンが只の馬鹿に見えてしまうところか。結局スコセッシはディカプリオが好きなのかしらね。
終わってからこの映画が152分もあったことに気づき、筋立てが分かっていながらもここまで飽きさせないのはさすがだと思う。結局私はスコセッシ好きなのかもしれないけど。
しかしこの話は何度観ても面白い。この話の面白さはスパイ=裏切り者が、個人の思惑を超え、システムとして機能していってしまうところかもしれない。「お互いの」スパイ、敵スパイ同士の「共有」(この映画では同じ女を本当に共有する)、「対決」、「寝返り」、「転移」、ジジェクだったらもっともらしい論文を書いてくれるだろうか。
ここで今日から新宿でも公開されることになった『あるいは裏切りという名の犬』(しかしすごいタイトルだな、原題と全然関係ないし)でも観れば香港・米・仏ノワール比較ができるところだが、夜も更けていたので帰宅。


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秋の映画日和 [映画・ノンジャンル]

風邪を引いて寝込んだおかげでCSでずっと観たかったキング・ヴィダーの『ステラ・ダラス』を観ることができる。何本か論文を読んだだけで、多分自分は好きなんじゃないだろうかと予想していたのだが、予想どおりとても好きになる。ファム・ファタルしか知らなかったバーバラ・スタンウィックが、こんな役もやるんだって、ちょっと唖然としたけど、とても良かった。春にオフュルスの『ヨシワラ』を観て、私はあまり好きではなかったのだが、絶賛する周りの温度差に結構めげて、自分はあまりメロドラマは得意ではないのかなぁ、とちょっと離れていた、メロドラマ熱が復活しそうだ。私の場合、男女のメロドラマではなく、親子のメロドラマが好きなのかもしれない、と少し思う。異性愛より家族愛を上に見ているとか・・現実でもそうだとしたら少し嫌だけど。
寝込みついでに、全部観るのは多分無理だろうと思っていた『枯嶺街少年殺人事件』の完全版も全部観てしまう。特に感銘は受けないが、まぁ私はこの映画に関しては公開当時も受けなかったからなぁ・・。当時、多分93年頃だったと思うけど、ドゥルーズの「シネマ」の読書会で、『枯嶺街少年殺人事件』がスゴイ、という噂が年上の男性の間でざわざわと広がっていくのを昨日のことのように覚えている。あの時も自分はセンスないのかな、と思ったっけ。
そういえばドゥルーズの「シネマ2」がやっと刊行されました。「シネマ1」も続けて刊行の予定。

シネマ〈2〉時間イメージ

シネマ〈2〉時間イメージ


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映画の効用 [映画・ノンジャンル]

特に東京サクラグランプリに関しては賛否両論を巻き起こしたらしい東京国際映画祭だが、プログラミングディレクターの日記やインタビュー等が引き続き公式サイトhttp://www.tiff-jp.net/ja/で読める。ヴェネチア映画祭のディレクター等で著名なマルコ・ミュレール氏のインタビューがとても良い。最もよい部分を引用させてもらう。
「最高の映画は、物事を理解する手助けをしてくれる。そういう映画は人を変える。つまり、人は映画によって変化させられるということを認めるべきなのです。それが、映画と見る者との間の基本的な契約です。2時間の間、自分が何者であるかを忘れるということを受け入れる。そしてその映画が何かしら作用すれば、最後には自分が少しだけ違った人間になれる。それは、「どうだ、私は突然、世界の一員になった!」と言えるようになるということではなく、その映画が見る者の潜在意識に働きかけ、その内部で成長を続け、反響し続けるということです。ある日、その映画を見たおかげで、もしかしたらある意味で、自分がしてきたこととは全くかけ離れているような人間の経験へと、より自分が開かれているのを発見する。」

或いは内田樹氏の履修単位不足問題に関しての10月26日の日記より。
「必修の世界史をネグレクトしたケースが多い。
世界史は覚えなければいけないことが多い、というのがその理由だそうである。
なるほどね。そうだったのか。
大学生諸君が世界史の年号どころか世界史的事件について話しても、みんな「きょとん」としているのを不思議に思っていたが、そのせいであったか。
ウェストファリア・システム」と言っても誰も反応しない。
「米西戦争」というようなものがあったことを知らない。
ハワイの併合」の事情を知らない。
「フィリピンの独立宣言がアメリカ下院でなされたこと」も知らない。
「インドシナ半島をフランスと日本が共同統治していたこと」も知らない。
たしかにこれくらいものを知らなければ人類の歴史は「グッドガイ」と「バッドガイ」の二極のあいだの戦いであるというパッパラパ世界史認識に着地してしまうのも致し方あるまい。
若い方のあいだにナショナリズムがさかんな理由にも納得がいった。
世界の歴史を知らない夜郎自大こそナショナリズムの培養基だからである。」

世界史なんて確かにやり始めるときりがない。内田氏が書いている事例は私だって詳しくは知らない。しかし、何故ミュレール氏の引用の後にこの文章を続けたかというと、少なくとも私に限っていえば、中国映画を観た後は中国の歴史を、パレスチナに関する映画を観た後はパレスチナの歴史を、多少なりとも勉強するからである。
そういえば映画芸術417号で宮台真司氏が「日本のインテリ系は映画を観ないし、彼らが観に行って満足できる映画がかかる小屋も少ない。だから批評も成り立たず、インテリ系が観に行かない。そういう悪循環です」という発言の後、「インテリがこれほど世界観に関心がなく、認識が甘い国も珍しいでしょう」と言っていた。私は映画好きなインテリしか知らないので実感がないのだが、続く「蓮實的なものは後背地が消えることに加担した」という発言には納得する。
右傾化している若者たちというのも私は実際には知らないので、彼らが「セカチュー」や「踊る大走査線」しか観ないというのは偏見かもしれない(荒井氏もいつも似たようなことを言っているけれども)。
しかし、いい映画というのは、ミュレール氏が言うように、「自分が開かれる」ものなのだ。「自分がしてきたこととは全くかけ離れているような人間の経験」へと。映画が一部のシネフィルや、業界人のものだけでなく、多くの人に対して「開かれた」ものであってほしいと切に思う。
東京国際について批判的な記事(例えば朝日新聞)を見かけたし、いまだにムゲに否定する人もいるようだけど、特に近年のアジア映画の充実ぶりは賞賛すべき点なのではないだろうか。といいつつ今年もあまり本数観れなかったんですが・・。


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ホテル・ルワンダ/テリー・ジョージ [映画・ノンジャンル]

風邪を引いてしまったので見逃していた『ホテルルワンダ』をDVDで借りてきて自宅で鑑賞。しかし、観終わっておや?と思う。こきおろすほど悪い映画ではないとは思うのだが。私が引っかかったのは前回http://blog.so-net.ne.jp/miyukinatsu/2006-08-06引用したキネ旬の樋口尚文氏の「例えば犯罪の実話に取材した「愛のコリーダ」「少年」「復讐するは我にあり」「ホテル・ルワンダ」「ミュンヘン」は単純な正邪の彼岸に観る者を連れてゆく瞬間があり、人間の解らなさに向けて観る者の思考を開いてゆくところがある。」という文章。これを引用した時点では『ホテル・ルワンダ』と『少年』は未見であったわけだが、『ホテル・ルワンダ』を観終わった今となっては、『愛のコリーダ』『復讐するは我にあり』『ミュンヘン』の三本と較べたらどー考えても見劣りすると思う。そもそもこの映画の中に「単純な正邪の彼岸に観る者を連れてゆく瞬間」などあっただろうか? 私には基本的にはヒューマ二スティックな、家族愛の、感動的な、つまり「普通の」映画に見える。
他の三本と何が違っているのだろう。シナリオ? 演出? 東京国際映画祭で今村昇平特集をやるらしいので、その時に考えてみようかな。新文芸座でも見逃してしまったものが何本かあるし。


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CS三昧 [映画・ノンジャンル]

放置していた書き物がやっと出口(というか入り口というか)が見えてきたので、缶のソルティドックを買って一人で乾杯。ここまでくれば早い・・わけでもないのだが、気がラクになったことは確か、だし。
映画観ていないことはないのですが、BSとCSが観れるようになってしまったということもあり、出不精に少し拍車がかかるかも。フィルムセンターの新藤兼人特集の『軍旗はためく下で』などは、「スクリーンで観てよかったー」と素直に感動したのですが。CSはわりと昔の名画で昔の俳優さんを楽しむことが多く、「うーん、ロバート・ミッチャム・・」「うーん、マーロン・ブランド・・」などと言ってると、ちょっと年寄り臭いかも。もうすぐシネフィル・イマジカでジャンヌ・モローの『マドモアゼル』をやるのが楽しみです。
ミヒャエル・ハネケの『ピアニスト』も放映されたので再見したのですが、公開当時と印象が違うのが面白かったですね。当時は「かなり嫌な映画」だと思ったんですが、そうでもないと思いました。4年の間に、もっと嫌な映画を沢山観たせいでしょうか。まぁハネケ自身の映画でも、もっと救いのないラストを持った映画はありますしね。エリカが扉を開けて出て行くラストシーンにどちらかというと明るいものを感じてしまったのは、むしろハネケの映画文体に慣れたせいかもしれません。


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愛より強く/ファティ・アキン [映画・ノンジャンル]

闘う気が失せるときってどんな時だろう。どうしても何かをやる気が起きない時。闘いが何をどうやったって負け戦のような気がしてきた時。そう言った時、「勝つためにやってるの?」と聞いてきた友人がいたが、その言葉が心に響いたりさえしないのだ、生まれた時のポジションが既に闘うことを強いているような人は、今までだってたくさんいたし、これからだっているだろう。
家族と昼食を食べたあと、美容院に行き、帰りどうしても自宅の駅で降りる気がせず、そのまま渋谷へ。情熱的なラブストーリーであるらしいファティ・アキンの『愛より強く』を観る。これで闘う気が復活しちゃったりしたらお笑い草だなぁ・・と思いつつやっぱり復活してしまう。主演二人の素晴らしさは勿論のことだが、楽観的すぎず上品すぎない監督の匙加減のおかげだろう。絶妙! いい料理と同じでいい映画ってほんとにいいなぁ、としみじみ思う。闘いは勝つとは限らないし、愛も報われるとは限らないけれども、人を好きになってその人のために闘う人間は誰がなんと言おうと素晴らしい。そしてその儚き素晴らしさを描けるメディアとしては映画はやはりかなり優れている。
人間が夢を見ないと正気を保てない生物だとしたら、人類は映画を観ないと正気を保てないのかもしれない・・などという気がしてきた雨の土曜日。


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ゴールデン・シネマ・ウィーク [映画・ノンジャンル]

GWでもないとまとまって映画も観れないなんて、サラリーマンの典型みたいで悲しいけれども、ぼちぼち気になるロードショーもかかるようになってきたので、今日は一日映画を観ると決める。ユーロスペースでハネケの『隠された記憶』を観た後、六本木へ出てジョージクルーニー監督の『グッドナイト&グッドラック』。『コンフェッション』は未見なのだが、この映画は良かった。やはりエド・マローを演じたデヴィッド・ストラザーンが素晴らしい。ジョージ・クルーニーは自分が俳優だけあって俳優の重要性が分かっているのだろうなぁ。というか、これはエド・マローを演じる俳優が良くないと、あまりカタルシスを感じるとか感動するとかそういう作りではないので、ここまでよい映画にはならなかったかもしれない。デヴィッド・ストラザーン演じるマローの顔を見、声を聞くだけで価値のある映画であり、そういう意味では冒険的なことをやっているのかも。動いているマッカーシーを初めて見てなんとなく仇をとったような気分になる。
六本木を出、そのまま新宿でやっている「イメージフォーラムフェスィバル」へ。アピチャポン・ウィラーセタクンの『ワールドリー・デザイアーズ』が目当て。暗い森の中が突然ライトアップされて女の子が懐かしいメロディで歌い出す冒頭から、もうメロメロ。ウィラーセタクンの映画を観ていつも不思議に思うのは、ただバイクに男同士で二人乗りして走っているとか、窓辺の風鈴がチリンチリンと鳴っているとか、あまり全体の流れに関係がないようなシーンが、何故あんなに素晴らしいのかということ。ほぼ舞台がジャングルに限られた本作は、当然『トロピカル・マラディ』を想起させたが、後でパンフを見たら2000年から2005年にかけて行われたジャングルでの撮影にインスパイアされ捧げられたものらしい。当然『トロピカル・マラディ』も入るのだろう。しかし考えてみると、ウィラーセタクン監督の映画は評価は高いものの結局一本も映画祭以外での公開はされていない。うーむ・・。終わって外に出るといい感じに暗くなっていて風が気持ちいい。ジャングルに思いを馳せながら新宿駅に向かう。

「グッドナイト&グッドラック」オリジナル・サウンドトラック

「グッドナイト&グッドラック」オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ, ダイアン・リーヴス, マット・キャッティンガブ, ピーター・マーティン, ジェフ・ハミルトン, クリストフ・ルーティ, ロバート・ハースト
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2006/04/19
  • メディア: CD


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